【 Toshio Doko:土光敏夫 】 質素倹約し社員と同じ目線で考え現場で働いている社員たちに勇気を与えてくれる名言

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Toshio Doko:土光敏夫

 

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土光敏夫

土光 敏夫は昭和時代の日本のエンジニア、実業家。第4代経済団体連合会会長。位階勲等は従二位勲一等(勲一等旭日桐花大綬章・勲一等旭日大綬章・勲一等瑞宝章)。岡山県名誉県民。次男の土光哲夫は東芝タンガロイの元役員。

古巣再建の早朝出勤

昭和25年、54歳の土光に大変な仕事が回ってきた。経営難に苦しむかつての古巣の再建である。石川島造船から石川島重工に改名したものの、敗戦後の経済難から風前のともしびと化していたのだ。

どのようにして会社を立て直すか……土光は悩んだ。社長に決まって初めての出勤日、痛烈な先制パンチを食らわせた。早起きして午前8時前に会社に出社した。工場の門には守衛が立っているが、まさか社長が早く出社してくるとは思っていない。 就任したばかりなので社長の顔を知らない守衛は、「あなたはだれですか」と質問した。すると、偉ぶった様子もなく、「今度、社長になりました土光と申す者でございます」と言ってきたので、守衛は目を丸くさせて驚いた。そのエピソードを知った役員は、己の姿勢を反省し、社長に負けじと早朝に出勤し、何倍も仕事をするようになった。

上司の精勤に心打たれた社員たちも、呼応するように一生懸命働き、社内の雰囲気は一変した。次に、社内報を作り、自ら書いた会社再建の具体的構想の原稿を掲載した。 新年の初出勤の日、例によって会社に一番乗りをした土光は、社員1人1人に社内報を配りだしたのだ。年頭から先陣を切って動きだす社長の姿勢に、社員は皆びっくりした。そして全員が社長の年頭の挨拶を熟読し、期待にこたえようと一致団結して働いた。

傾きかけた石川島重工は上げ潮の波に乗り、一気に世界レベルの企業に躍り出たのである。

清貧を貫いた経営者

● 組織はダイナミック(動的)でなければならない。たとえばルールを作っても、はじめたときは新鮮味があるが、ちょっとたつとマンネリになってしまう。今日決めたことでも翌日になると必ずいくらかのマンネリが生じているんだと私は言っている。企業は絶えずダイナミックでなければならない。清水でも動かなければ腐ると言われる。組織体には絶えず揺さぶりをかけておく必要がある。

● 誰にも火種はある。必ずある。他の人からもらい火するようでは情けない。自分の火種には自分で火をつけて燃え上がらせよう。

● 各部門がお互いに議論しあうのは良いことだ。馴れ合いで議論そのものがなくなることは、恐るべき腐敗だからだ。しかし、その議論はあくまで前向きでなければなるまい。議論は「互いに自らを問う」ところから始まらねばならない。自らの姿勢を正すことが先決である。

● トップは百パーセント職責権限を委譲し、しかもトップに百パーセント職責権限が残る。注釈:失敗を恐れずに与えられた権限をフルに行使せよ。責任はすべて私が負う。土光がいつも事業部長にいっていたとされる言葉。権限は全部部下に与えても、最終的な責任は必ずリーダーが取るというのが土光の考えであった。

● 考えるより当たれ。体当たりによって生きたアイデアが生まれる。

● 経営に活気をみなぎらせるために幹部がなさなければならぬことは、ビジョンを明示し、目標を高くあげることである

● じゃあ経団連をやめて暇になるから、僕が行くよ。僕のほかにも会社を辞めて植木屋のアルバイトをやっている人がいるから、2、3人連れて行く。

● 僕は石川島(播磨重工)でもそうだったけど、社員をクビにはしない。役付取締役に全部平取締役になってもらった。ウエットといやあウエットだけど逆なんだ。人はすぐあれはこの点が駄目だと欠点を言うじゃないですか。神様はそんなことしませんね。誰だって長所があるもんだ。長所を見ないで人事をやるなんておかしいですよ。そういうところで外れた人はぼくの直属にします。それが僕のやり方。意見は言います。熱を入れてしゃべるから社長は怒ったなんて誤解されることもあるが、ぼくは怒ったことなんてないんだ。

● 自らが真剣に仕事に打ち込む。自らの足りなさを省みる。そういった身を持って示す真剣勝負こそが部下への最上の教育となる。部下は管理者の鏡なのである。

● 計画とは将来への意思である。将来への意思は、現在から飛躍し、無理があり、現実不可能に見えるものでなくてはならない。現在の延長上にあり、合理的であり、現実可能な計画はむしろ「予定」と呼ぶべきだろう。将来への意思としての計画は、困難を受け入れ、困難に挑み、困難に打ち勝つモチーフを自らのうちに持たなければならない。

● 肯定的態度とは相手の発言をどこに賛成しようかと考える姿勢を言う。その底には思いやりがある。否定的態度とは相手の発言をどこに反対しようかと考える姿勢を言う。その裏には自己防衛や自己顕示がある。相手の提案には心から認めてあげることを惜しんではならない。

● 価値観というものは、時代とともに変わっていくのが当たり前だ。それでなきゃ、歴史は生まれない。仲間のご老体たちが「このごろは価値観が違って困る」とこぼしているが、そんなことは当然のことなんです。僕らの世代だって個人によって価値観は違うのだし、価値観が一緒になったら、それは独裁国家ですよ。

● われわれの周囲には、同じような能力でスタートしても長いマラソンレースの間に差がついて、ゴールで大きく水が開くという事実が厳然としてある。俗にいう「根性」にあると思う。根性とは、いろいろ定義の仕方があるだろうが、要するに「仕事へのよくの強度と持続力」だといえよう。仕事へのよくは実は誰でも持っている。だが人によって、強い弱いの差があり、長続きするか線香花火に終わるかの差がある。人よりも強い欲、長続きする欲で、途中でへこたれず最後の勝利を勝ち取ろうではないか。

● 人間は教えられる立場にだけ置かれているとダメになってしまう。時に教える立場を与えなければならない。教えられながら教えることによって人間は素晴らしい成長を遂げるのだ。

● 学校というものは社会に出るためのウォーミングアップの場所に過ぎない。いま、どの学校がいいかなんとか、みんなが目の色を変えているのは、あれは単なる親のエゴに過ぎない。僕自身は大学に行く気なんて全くなかった。好きな機械を作っていれば、それでよかったんだ。

● 実績が予算を大きく上回ることがあるが、トップはこれを喜んではならぬ。実績が予算を下回った時以上に、警戒すべきであろう。控えめに作成された予算は、もはや予算の名に値しない。予実算は一致するのが原則である。これは、予算を建設的行動の指標と考える立場である。予算を支配する考え方である。幹部の見識の問題である。

● 人によっては失敗を契機として転身することもあるし、旧弊をかなぐり捨てて悟ることもある。とにかく人間は変わるという一事を忘れてはならない。

● 十年間でどういうふうに変化するのかということについて常に我々は一応の見通しを持たなければならない。それから超産業社会に進みつつあるという一般的な知識をもっと重視する必要があろう。変化することが企業の本質であり、変化に先んじて変化を作り出す企業が必要ではないか。

● 我々のようなメーカーにとって、研究開発こそは企業の生命を左右する。それゆえ私は、予算を大幅に削減せざるを得ない時期にあっても、研究所に対してだけは申請通り認めてきた。金が成果と結びつくというよりも、金を減らしたために所員の士気が低下するのを恐れたからである。

● 「できません」「どうしたらよいでしょうか」「あしたにしよう」こんな言葉を職場から追放しよう。

● 私どもの東芝では、上位者ほど早く出勤するという習慣がすでに定着している。私に言わせれば、当然のことといえる。上位者ほど忙しいはずである。その日の準備段取りは、部下が来る前に済ませておかねばならぬはずである。格別の美談でもなんでもなく、先進国のエグゼクティブやマネジャーがとっくに実行していることなのだ。そんな上司の姿を見て部下たちも変わってきた。古い言葉だが率先垂範こそ、人が人に向かう基本原理だと信ずる。

● 僕は人間像なんて嫌いだ。個性を持って人間らしく生きればいい。松の木なら松の木に育てたらいい。悪い枝を切り、虫がついたらとってやり、肥やしをやる。それが教育であり、松の木を杉の木に育てる必要は全くない。

● 上司へのリーダーシップをうまく取れない人が、どうして部下へのリーダーシップをうまくこなすことができようか。上へのリーダーシップといえば、奇矯というかもしれぬ。しかし我が国では、あまりにも上下の差別が強すぎると思う。たしかに、年齢や勤続年数や賃金では上下の差がある。だが一人一人が担う職能は、横に並んでいると考えたい。横に並んで切磋琢磨するのである。このように考えれば、リーダーシップは上へ向かっても発揮されなければならない。

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【土光敏夫/財政再建】

【弊衣粗食の日常生活】

華やかな経歴とは裏腹に土光の私生活は「清貧」そのものであった。5000万円近い年収のうち、1ヵ月の生活費に使われるのは10万円程度でしかない。収入の大半は人材養成のためになげうった。朝食は自家製ヨーグルトと庭で自ら栽培した野菜、昼はソバかカレーライス、夜はイワシの丸干しに味噌汁。宴会にも出席せず、7時には帰宅し、家の中でも仕事、勉強にいそしんだ。

1日の平均睡眠時間は4時間から5時間で、毎朝4時か5時に起床して、朝早くから夜遅くまで無駄な時間を過ごす時がなかった。「怒号」、「カミナリおやじ」とあだ名されるほど厳しい人間だったが、単なる精神論一本槍ではなく、その裏には徹底した熟慮があった。どうすれば会社をよくすることができるか、頭がしびれるほど考え、構想を練った。いざ動くとなったら、猛きこと火のごとし、だれの追随も許さぬ強い信念で難局を打開していった。

だからこそ、厳格な土光に多くの人が従っていったのだ。

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