【参照文献】 ヒトラーを支持したドイツ国民
ドイツの一般大衆は当時、ナチ恐怖支配についてどこまで知っていたのか。実際には、戦争の進展とともに強制収容所は、次々と増設されて身近な存在になり、被収容者が公開処刑にされる様子まで日常的に見ていた。政府が「非社会的分子」や外国人労働者を排除することを、国民の多くは誇りとし積極的に協力した。
ヒトラーは「敵」には容赦ない強制手段をとりながら、国民を味方につけることには細心の注意を払った。情報操作を徹底し、事実を隠すよりは公開したのである。「強制」と「同意」は一貫して鏈れ合っていた。 著者はこの分野の卓越した研究者である。廃棄を免れたゲシュタポ調書等と、当時の新聞雑誌をていねいに読み、1933年のヒトラー権力掌握から1945年の敗戦までの「同意と強制」の真相をさまざまな方向から明らかにする。
同時に、反ユダヤ主義は最初から国民に浸透していたのではなく、戦争突入が契機となったことを実証した。 関連書のなかでは長く残る一冊として、本書は評価が高い。各国語に翻訳されただけではなく、ドイツ政府は本書のドイツ語の廉価版を製作・配布している。
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【ドイツ国民の心理状態】
ドイツ宰相就任任命につづく月々に、ドイツ人は一種の「正常」への復帰を経験することによって、
その正常(安定した生活)とは何か
① 安定した雇用
② 犯罪率の低下と安心感
③ 将来への希望
【国の画一化(ナチ化)に至る実験】
共通の敵を作り上げる:自分たちの行動を、ひとつの共産主義革命から国民を守るために必要な先制攻撃として提示したのだ。スターリンと違ってヒトラーは、幅広い社会階層と対立して自分の意志に屈服させようとは、けっしてしなかった。マルティン・ブロシャトが名づけた「国民投票型独裁制の実験」を行うことになった。仕組まれた選挙によって政権の正当化を行い、ヒトラーは、民衆に支持された権威主義的な指導者統率制度を目指した。
【政党の非合法化】
採用された手法は計算され、巧妙なものだった。
政党は一挙に排除されずに、一党また一党と非合法化されていった。
【支配されているという感覚がなく自ら賛同する】
国民は、感情の揺さぶりと打算の両面からナチ独裁制に熱を上げ、犯罪のない街路、繁栄への復帰、それに自分達が良いと思う政府を求め、その代償として進んで監視社会という考えを受け入れ、普通は自由民主主義と不可分とみなされる自由を放棄したのだ。
また世論を味方につけるための工作は怠らず、国民に対して全面的なテロを行使していない。各国の革命の指導者たちが大規模なテロを行ってきたが、ナチはほとんど必要としていなかった。多くのドイツ人が追従したが、彼らは魂のないロボットではない。彼らは、ヒトラーがもたらす利益と親独裁制の「肯定的側面」について、自分たち自身が納得したからだった。
事がうまくいかなかったり、計画通りいかなかったりしても、傾向としてヒトラーを許して「小ヒトラー」つまり総統の下にいる指導者たちを責めたのは、独裁ではあまりない。普通の人々は、意外にも統制されなかったし、騙されなかったし、強制されなかったのだ。多くの普通のドイツ人は、ナチが政治犯と烙印を押した者が弾圧されるのを明らかに支持した。
強制収容所に政治犯が送られるのを見て喜んだ。ほとんどの普通の国民は、強制収容所に賛成したのだ。たいていのドイツ人にとって独裁制の強制とテロの側面は、社会的な噂、新聞記事、ラジオ放送によって構成されていたのだ。
市民の大多数は通常、犯罪者「社会の屑」とみなされる人達を警察が排除されるのを見て喜んだ。ドイツ国民は、深く根付いた民主主義の伝統を欠き、ワイマール共和制の情けない実験を背景に、ヒトラーの下で、この戦いを異常なまでに徹底して支持する気持ちになっていた。
新警察は、収まりきれない人々の範疇にどんどん広げて彼らを迫害し排除した。1930年代の強制と監禁は、大規模でもなければ、まったく無原則でもなく、的を絞り、目的意識にもとづいていた。法治国家は廃止され、これに警察司法と特別法廷が取って代わったのだから、法秩序の手続きに恣意性と不可測性が入り込み、密告が認められた。異分子の取締も、住民の支持を獲得する願望を表現していた。
【宣伝と雇用創出と景気回復のアメ】
宣伝には「国民が真実であってほしいと真面目に願うことの指標」が含まれていたと考えられる。ヒトラーとナチは、自分たちが話すこと、書くこと、なかでも為すことに、大変な注意を払いながら、国民の支持を獲得し、保持しようとしていたのだった。
国民啓蒙・宣伝省の管轄下でつくられた第三帝国の賛歌には、早期から以下の大きな 4つを政策実現に向け掲げられている。
① 深刻な不況による労働創出計画
② アウトバーンの建設による大規模な公共工事
③ フォルクスワーゲン”ファミリー・カーの約束”
④ 安い休暇(娯楽)を楽しみそれに伴うオリンピックの開催
一番国民が心酔してしまったのが、この初期の政治政策にある。ヒトラー政権は、他のどの先進工業国よりも早く大恐慌を克服、もっとも早く立ち直り大恐慌を打ち負かし、ドイツの大失業問題を癒したからだ。
ドイツ人にとって一番大事な事それは、数百万人に及ぶ失業者に再び職に就くことであり、それを達成し生活費は上がらないのに、所得が着実に増えたことだった。
ドイツ国民は、ヒトラーが欧州大陸でドイツの「合法的」地位を一発の弾丸を撃たずに回復し、不可能を可能にしたと理解した。ヒトラーは国民に、この最初の安易な勝利にたいして、最後には莫大な代償を払わされた。
【制度化された人種迫害】
ナチス政権で特徴的なのは、人種主義制度の違反容疑について、国民からの密告を得るのに苦労しなかった点だ。政権が普通の市民の協力を得るのに苦労しなかった点は第三帝国の特徴のひとつであって、イタリア・ファシズムと異なっている。
人々は反ユダヤ主義と、外国人労働者に対する人種差別主義の実施に協力した。自分たちが民族共同体を達成する為に、ドイツ国民は望まれざる社会「分子」と「人種の敵」を晒し者にし、排除し、ついには殺害する残忍なゲームの虜になってしまった。
善良な市民は、新制度下で苦しむ人たちが「別の人達」共産党員、社会的アウトサイダー、ユダヤ人、常習犯罪者、慢性失業者、乞食、アルコール中毒者、同性愛者、性犯罪者など「社会の屑」とされる人々に「矯正と警告」を与える教育施設として強制収容所を理解し信じ、見学に招待されるなど、道徳的無関心と道徳的残忍化が日常と化したのだ。
【圧倒的普通の市民が出来たこと】
いったいなぜドイツ人の大部分が、ヒトラーを最後まで支持して戦い続けたのだろうか?多くの要因が組み合わせが関係しているのだから、人によって理由はちがっているのはたしかだ。
本書を読んでもらってあなたらしい理由を探してもらいたい。第三帝国終焉の日々には、楽観主義者、悲観論者、理想主義者、運命論者までいたが、最後まで戦う決意を固めたナチ狂信者には不足しなかった。
明らかに普通の市民は、現実として目のあたりにした残虐行為を含めて、状況を理解しようとはせずに、ヒトラーをあるいは少なくともドイツを支持する以外にはなにもできなかったのである。私たちが出来る事、それは普通の感覚を持ち合わせる努力と集団心理に惑わされない冷静な行動のみかもしれない。
参考Blog 【普通の人々アウグスト・ランドメッサーから学ぶ】
マルティン・ニーメラーの詩
彼らが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった、私は共産主義者ではなかったから。
社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、私は声をあげなかった、私は社会民主主義ではなかったから。
彼らが労働組合員たちを攻撃したとき、私は声をあげなかった、私は労働組合員ではなかったから。
彼らがユダヤ人たちを連れて行ったとき、私は声をあげなかった、私はユダヤ人などではなかったから。
そして、彼らが私を攻撃したとき、私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった。
参照記事 【彼らが最初共産主義者を攻撃したとき】
集団の中で普通の感覚を維持できた人 【アウグスト・ランドメッサー:August Landmesser】
August Landmesser (born May 24, 1910; missing and presumed dead Oct 17, 1944; declared dead in 1949) was a worker at the Blohm + Voss shipyard in Hamburg, Germany, best known for his appearance in a photograph refusing to perform the Nazi salute at the launch of the naval training vessel Horst Wessel on 13 June 1936.
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