【 平気でうそをつく人たち 】 虚偽と邪悪の心理学 ~ 身近にいる邪悪な人間の心理を読む

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邪悪な人間とはなにか

著者は、自らの診療経験から、世の中には邪悪な人間がいると考えるに至ったと言う。
その邪悪な人間とは以下の人である。

  •  他者をスケープゴードにして、責任を転嫁する。
  •  自分には欠点がないと思い込んでいる。
  •  他人に善人だと思われることを強く望む。
  •  体面や世間体のためには人並み以上に努力する。
  •  罪悪感や自責の念に耐えることを絶対的に拒否する。
  •  ナルシシズムと意志、異常に意志が強い。
  •  どんな町にも住んでいる、ごく普通の人。

著者は、診察室で出会った邪悪な人達との会話を再現し、彼らは巧妙な責任転嫁のやり方と隠微なうそをリアルに描き出す。 そして、彼らの核にあるのが過度なナルシシズムであることを浮き彫りにしてゆく。

さらに詳しい内容を知りたい方は
【  文庫 平気でうそをつく人たち 虚偽と邪悪の心理学 (草思社文庫) 】 参照されたし。

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邪悪 と罪悪

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著者は、犯罪者と呼ばれる受刑者たちの治療に長年あたり、こうした人たちが邪悪な人間だと意識したことはほとんどないという。彼らの悪にはどこか開けっぴろげなところがあるという。自分たちが捕まったのは、自分達が「正直な犯罪者」だからすぎないというのである。

彼らが言うには、真の悪人というのは刑務所などには入らない。むろん、彼らのこうした言い訳は自己正当化にすぎない。著者が信じるところでは、彼らの言うことはおおむね的を射ている。

最近うそをついたことがないという良心的な人であっても、なんらかのかたちで自分自身にうそをつかなかったかどうか考えてみる必要がある。

自分に都合のいいように解釈していなかったかどうか考えてみるといい。自分にできることをしなかったとすれば、それは自分自身に対する背信行為である。

自分自身にたいして完全に正直ではないということになり、それ自体が悪である。これは避けることのできないことである。犯罪者の定義とはなにかと考えると、彼らの罪悪の定常性にあるという。通常は陰微なものではあるが、彼らの破壊性は驚くほど一貫している。

自分自身の罪悪感に耐えることを絶対的に拒否する、というのがこの「一線を越えた」人達の特性だからという。

他者をスケープゴードにして、責任を転嫁する

著者が邪悪と定義しているのは、他人をスケープゴートするという。つまり他人に罪を転嫁することである。自分は非難の対象外だと考えている彼らは、だれであろうと自分に近づいてくる人間を激しく攻撃する。

彼らは、完全性という自己像を守るために、他人を犠牲にするのである。つまり罪の転嫁は、精神医学者が「投影」と呼んでいる。

著者が邪悪の烙印を押した人たちは、慢性的に他人をスケープゴートする人達であるという。

自分には欠点がないと思い込んでいる

邪悪な人間は、自分には欠点がないと深く信じ込んでいるために、世の中の人と衝突したときには、きまって、世の中の人達が間違っているためそうした衝突が起こるのだと考える。

自分の悪を否定しなければならないのであるから、他人を悪と見なさざるをえないのである。自分の悪を世の中に投影するのである。

邪悪な人間は、自分人の欠陥を直視するかわりに他人を攻撃する。精神的に成長するためには、自分自身の成長の必要性を認識することが必要である。

奇妙なことに、邪悪な人たちは、悪を破壊するために破壊的になることが多い。問題は、彼らがその悪の所在を見誤っていることである。

自分自身のなかにある病を破壊すべきであるにもかかわらず、彼らは他人を破壊しようとする。

自己嫌悪の欠如、自分自身にたいする不快感の欠如が、著者が邪悪と呼んでいるもの、すなわち他人をスケープゴートにする行動の根源にある中核的罪であると考えられる。

他人に善人だと思われることを強く望む

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完全性という自己像を守ることに執心する彼らは、道徳性清廉性という外見を維持しようと絶えず努める。彼らは社会的規範というものにたいして、他人が自分をどう思っているかについては、鋭い感覚を持っている。

彼らは身なりはきちんとしており、時間通りに仕事をこなし、税金を払い、外向けに非のうちどころのない生活を送っている。「イメージ」「外見」「外向け」といった言葉が、邪悪な人たちの道徳性を理解するうえで重要なものとなる。

彼らは善人であるかのように見られることを強烈に望んでいる。しかし彼らにとって「善」とは、見せかけのレベルにとどまっている。

体面や世間体のためには人並み以上に努力する

虚偽とは、実際には、他人をあざむくよりも自分自身をあざむくことである。彼らは、自己批判や自責の念といったものに耐えることができないし、また耐えようとしない。

彼らは慎み深さをもって暮らしているが、その慎み深さは、自分自身を正しい者として映すための鏡として維持されているものである。彼らは、特有の良心の陰にある自分の邪悪性の証拠となるものを消し去ることに、絶えず専念している。

邪悪性とは罪の意識の欠如から生じるものではなく、罪の意識から逃れようとする気持ちから生じるものである。邪悪な人たちとわれわれ精神的に病んでいる普通の罪人とのあいだの違いは、邪悪な人達がある特殊なタイプの苦痛から逃れようとするところがあるという。

怠惰な人間ではなく、彼らは、立派な体面や世間体を獲得し、維持するためには人並み以上の努力し、奮闘する傾向がある。地位や威信を得るためであれば、大きな困難にも甘んじ、熱意をもって困難に取り組みことすらある。

罪悪感や自責の念に耐えることを絶対的に拒否する

自分自身の良心の苦痛、自分自身の罪の深さや不完全性を認識することの苦痛を避け拒否する。自省に伴う特有の苦痛を避けるためにはあらゆることをやってのける彼らは、自らの心理状態を暴かれることを極端に恐れる。

邪悪な人たちは、光、自分の正体を明らかにする善の光、自分自身をさらけ出す精察の光、彼らは欺瞞を見抜く真実の光を嫌うものである。心理療法は、光を照射する優れた処置であるが、精神分析によって自己観察の試練を受けることは自殺に等しい。

最大の理由は、研究の対象となることを当の邪悪な人たちが極端に恐れる。その罪悪感や自責の念に耐えることを絶対的に拒否する。

ナルシシズムと意志、異常に意志が強い

悪性のナルシシズムの特徴としてあげられるのが、屈服することのない意志である。

健全な大人であれば、自分が真実であってほしいと望んでいるものではなく、真実であるものを信じる。自分の愛する者が必要としているものが、自分自身の満足よりも重要だと考える。

要するに、精神的に健全な人は、程度の差こそあれ、自分自身の良心の要求するものに従うものである。ところが、邪悪な人たちはそうはしない。自分の罪悪感と自分の意志とが衝突したときには、敗退するのは罪悪感であり、勝ちを占めるのが自分の意志である。

邪悪な人たちの異常な意志の強さは驚くほどである。彼らは、頑として自分の道を歩む強力な意志を持った男であり女である。彼らが他人を支配しようとするやり方には、驚くべき力がある。

一般の人がうぬぼれと呼んでいるものは、しゃれた精神医学用語でいう「悪性のナルシシズム」のことである。

本来的に持っている罪や不完全性を非現実的に否定しようとするある種の誇り、つまり、自身の欠点を日々証明するものが暗に示している判定を否定し、これを攻撃さえしようという衝動に人を駆り立てる、ある種の尊大なプライドまたは傲慢である。

ナルシシズムというものは、愛情深い、理解のある親のもとで正常な発達をとげる過程において「卒業する」ものと考えられている。冷酷で愛情の無い親を持った場合、あるいは、ほかのかたちで子供時代に精神的外傷を受けた人の場合、耐え難い人生の変転から自分を守るための一種の心理的要塞として、幼児ナルシシズムが保存されると考えられている。

われわれは邪悪につくられているわけではなく、邪悪になることを強制されているわけでもない。長時間にわたる長い選択の連続を通じて、徐々に邪悪になるとエリッヒ・フロムは「悪について」で語っている。

選択と意志を重視している点を著者は称賛しているが、意志そのものの力を過小評価していると著者は指摘している。これについて異論はない。

どんな町にも住んでいる、ごく普通の人

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邪悪な人間は、どんな町にも住んでいる、ごく普通の人に見える。また、立派な地位を持ち、定職に就き、きちんと仕事をこなし、真面目で勤勉のふりをしている。

しかし、邪悪な人間は、すべてにおいて装うことに長けているが、ある特定の専門家が調べれば、その見せかけの世間体は暴かれるものである。仮に暴かれなかったとしても、あなたのまわりにも「なんとなく好かれない、人気があるが、どこかがおかしい」と思う人もいるだろう。

その直感は、多くの場合正しいかもしれない。この著作は、観察と患者のケースを通じて、様々な角度から分析をおこなっている非常に興味深い書籍だ。個人の悪の心理状態から、集団における無責任からくる悪の心理まで幅広く扱っている書籍はあまりなく、今回の書籍を取り上げた。

しかし、一方で西洋的な宗教観を導く出す解答の場面は、いささか私達日本人からすると少し内容は異なるだろう。ただ、身近ににる普通に見える邪悪な人に焦点をしぼり、作品に仕上げた点は非常に評価できる。

邪悪性 4 つの特性

  1. 定常的な破壊的、責任転嫁的行動。ただし多くの場合、隠微なかたちをとる
  2. 通常は表面に現れないが、批判その他のかたちで加えられる自己愛の損傷にたいして過剰な拒否反応を示す
  3. 立派な対面や自己像に強い関心を抱く。生活安定に貢献するが、憎しみの感情、執念深い報復的動機を隠す見せかけにも貢献
  4. 知的な偏屈性。ストレスを受けたときの軽度の精神分裂症的思考の混乱が伴う。

これらの特性が見られるだろう。

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参照画像 【天使と悪魔 (映画)】
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参照画像 【Crianças terríveis e assustadoras no cinema】

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